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ここでは、極めて短い掌編小説を試みようと思います。どこか奇妙で、ありえないのにそれらしくなりたち、ヘンな可笑しみさえ感じられるような連作集になればいいなと願いつつ。
by tokok2 HOME&Ranking
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月
眠れない夜だった。青年は寝返りを打った。彼は思った――月が明かる過ぎるのだ。
彼は寝床で耳を澄ます。蛙が遠くで鳴いている。しんしんと鳴いている。 彼は再び寝返りを打つ。駄目だ、眠れない。彼は溜息をついて起きあがる。 枕元の円い硝子の眼鏡を取り上げると、彼は寝床を抜け出して蚊帳をくぐり、軋む階段をそっと下りる。家の者は昼間の疲れでぐっすり眠っている。それを起こさないように気をつけて、彼は静かに外に出た。 静かな田舎の夜だ。月の光が皓々と田圃を照らし、水面の反射で辺りは昼間のように明るい。夜風が微かに吹いて、青い稲の穂を揺らす。蛙の声は、耳にさやか。 彼は畦道をゆっくり渡って行った。空気は丁度よく涼しい。 彼は漠然と、いつになったら帰れるのだろうと考えた。彼は東京で学生をしていたのだが、三年前胸を患い、今は、母親の実家のあるこの村で、療養と体力回復のためにぶらぶらしているのだった。 彼は、東京での生活のことを自分の馴染みの古本屋の親爺や下宿のおかみさん、そして、学問から他愛もない悪戯まで、様々なことを共にした学友たちのことを思った。しかし、それはほんの一瞬。遠く霞んだ過去の出来事。中途で自分が消えてしまった昔の思い出。 彼は頭を振って、微かににがい思いを風に流した。 畦道を渡ると、田んぼの向こうは雑木の林になっており、少し急な傾斜を経て、小さな山に続いている。彼は、林の中へと歩みを進めた。 月の光は木々の枝を透かして林の中へも差し込む。彼は、月光を浴びるように頭を反らして目を閉じた。 月の光は人を物狂いにさせる。彼はふと、そんな欧州の言い伝えを思い出し、軽く笑った。こんなにたっぷりと月光を浴びている俺は、立派な気違いか。 彼はそろそろ戻ろうかと考えて、頭を下ろして目を開けた。そして、見た。 それは、蛹だった。土の中から木の肌をぞろぞろと無数に這い上がる、飴色の蛹だった。 それらは月の光を受けて淡く輝き、樹皮の上にくっきりとした小さな影を落とす。それらの蛹は、まるで始めから決められていたかのようにそれぞれの位置で歩を止め、そして静かに震えはじめた。 彼は、馬鹿のようにただそれを見ていた。 蛹は、清楚に身悶えする。ひかえめに、息を吐いて、身を捩らせる。すると、その背に細い微かな割れ目が入り、羽化のはじまりを告げる。 月の光に踊らされるように、蛹はひときわ大きく身震いする。すと、その背の割れ目の隙間から、裸の少女が溢れ出る。無数の蛹が、あとからあとから少女に羽化する。林は少女に満ちる。 (少女の蛹‥‥) 青年は呟いた。目を、大きく見開いたままで。 羽化した少女らは、まだどこかぎこちない様子で、腕を動かしてみたり、何も映さないような薄い目でまわりを見回してみたりする。濡れた皮膚が月光をはじく。林を渡る風が、少女らの体や髪の毛を、少しづつ乾かしはじめた。少女が軽く頭を振ると、髪の毛がさあっと躍った。 乾いてゆくにつれ、少女らの手足も固まってゆく。動作はだんだんしっかりする。少女らは大胆に身動きし始める。しなやかに伸びをしたり、高く喉をそらしたり、腕を機敏に震わせたり。 そのうちの誰かが、唇を開けて声を鳴らした。すると、それに和して、少女らは次々に鳴き始める。鈴虫のような、ちりりという澄んだ幽かな鳴き声である。それは互いに共鳴し、増幅しあって、林の中を透明な音の響きで満たす。 青年は、鼓膜を圧倒されて立ち尽くした。 その時、雲が月を隠し、林の中が翳った。少女らは不意に口を閉じ、身動きを止めた。 息詰まるような、期待のようなものに満ちた一瞬の後。 雲は切れて、月光がさあっと流れた。その瞬間、少女らが一斉に翔び立った。風を切る、無数の少女たち。青年は、うわあと叫んで目をつぶり、腕で顔を庇った。顔の脇を、少女たちの翅が掠めてゆくような感触がした。 彼が目を開けたとき、林はもとのように、月光の中静かに風を渡しているだけだった。彼は、しばらくの間ぼんやりした。少女は、跡形もなかった。 そして彼は頭を振った。もと来た畦道の方へと歩き出した。 彼は胸のうちで呟いた――つきが、あかるすぎるのだ。眠れないから夢をみた。 うつむきかげんの彼の目には微笑。林をぬけると、青い稲の匂いと蛙の声がする。村の家々の、寝静まったたたずまいが見える。 さあ、帰ろう。彼は、自分の家をめざした。 by tokok2 | 2011-07-14 14:41
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